15世紀にコーヒーが発明されてから2世紀ほどは、コーヒー裁判の中心はアフリカ北東部のイエメンでした。特にオスマン帝国統治下ではコーヒー栽培が推奨されており、17世紀中ごろでは同国で重要な輸出作物として栽培されていました。当時のイエメンでは、コーヒー栽培を独占するために種子や苗木を持ち運ぶことが禁止されていたと言われています。

17世紀に入るとそうした体制の中でコーヒーを外に持ち出す動きが出てきました。それが「ティピカ」と「ブルボン」です。これらは別々の経路で外に出ましたが、「ティピカ」は中南米へ渡り、「ブルボン」はレユニオン島に渡りました。それぞれわたる過程で苦難の道がありましたが、現存するアラビカ種のほとんどはこの2本の木と言われえちます。そのためティピカとブルボンはアラビカ種の二大品種と言われています。

最初にイエメンからコーヒーを持ち出したのはイスラム教徒という一説があります。17世紀中頃にオランダがセイロン島を植民地化した時にはイスラム教徒が持ち出したコーヒーノキが生えていたらしいです。それがイエメン以外でコーヒーが栽培された最初の記録です。

ヨーロッパで初めてコーヒーを手に入れたのはこのオランダです。オランダの東インド会社がジャワ島のバタヴィアを占拠して貿易の中継点としました。そこで植民地住民に指定した作物を栽培させて安く買い上げて利益を上げていました。その中で最も成功したのがコーヒーだったのです。